コスプレと宗教画

コスプレ画像をまとめたサイトを見ていて

「もしかして重度のオタクなら、ポーズみただけでどの場面かわかるんじゃないか?」
と思った。

シャアのコスプレ画像を見つけた。

あぁ。。。わかるわ、自分。。。


そこで妄想したのだけど、コスプレの過熱の一つの方向性として、それってありなんじゃないかと思う。
マイナーなキャラ、マイナーな場面。それをコスプレで再現して「お前ら、わかるか?」という見栄の張り合い。

と、妄想したところで。
これって中世ヨーロッパの王侯貴族に似てるな、と思った。
彼らも神話や聖書の場面を抜き出し、数少ないヒントから場面を特定したりしていた。「ああ、マリア様の隣に白百合があるのが、処女受胎を表してるのね」と。教養を試しあっていたのだ。
宗教改革期のネーデルランドなど、カトリックからは宗教画を求められ、プロテスタントから素朴な風俗画を求められていたから、国からの弾圧を逃れるために一方を他方に偽装する技術がずいぶん発展していた。絵画の依頼者は、そんな中からも意味を読み解いてきた。
そういう、教養とエスプリに満ちた芸術を、コスプレはやってくれないものか。

そんなことを思ってたら、こんなものを見つけた。
http://bit.ly/A5V6zr:冬コミ・コスプレ広場における原子力安全・保安院の緊急会見

ぼくは、最近の現代アートに共感できない。
「歴史の中の文脈を読むのでなく、作家の人生の文脈を読み取れ」というスタンスが気に入らないからだ。自分の作家人生を切り売りする生き方を美しいとは感じない。

だけど、こういうアートはアリだと思う。
少なくとも、これで路面に立っていたら投げ銭をするなぁ、とおもう。
こういう目的が明確でエスプリのある表現は美しい方法だと思うし、そこに作家の個性をどう上乗せして表現するのか気になる。
社会的なテーマなので、パトロンも集まりやすいだろう。

使った衣装も、美術商や美術館が買い取ってくれるかもしれない。

面白そうだと思うのだけど、どうだろうか。